考えることの難しさ
次期学習指導要領では、覚えることから考えることへのシフトチェンジを目指しているとはいえ、学習内容の削減は行わないことは明言されています。
そうなると、授業進度を速めないと、考える時間が確保できない。このような意図で、上記のブログを書かれたお子さんの先生は、言われたのだと思います。
これは、大きな問題を抱えているわけです。
習っていない=分からない
「これは習っていない。だからできない。」
こう主張する子どもはたくさんいます。ましてや、学校で習ってないのに入試に出た。こんなことを言われると先生達は困ってしまいます。これを避けるために、多くの学校では、とりあえず教科書は全て網羅することを大事としています。よって、駆け足でも全部授業で扱うことを求めるようになっています。
ここに、英語やプログラミングなどがさらに加わってくるのだから小学校現場は、かなり試行錯誤をしていかないとカリキュラムが上手くできないだろうと思っています。
学校だからできること
日本の教科書は、独りで読んで学習しても理解できるような構成になっています。これは、素晴らしいことです。ですので、自分で読んで内容を学習する習慣をつけば、問題ないわけです。家で独りですることも可能な訳です。
となると、学校に来て授業を受けることの意味は何か。それは、他者との学びを経験することだと僕は思っています。
友達の考えを聞く。
友達の意見に質問をする。
自分には、なかった視点が得られることが授業を受ける醍醐味だと思います。独りでは、気がつかなかったことに気がつく。他者と自分を比べることで、気づきが生まれ、自分の考えも深まります。
こうなると、何を考えさせるのかが、大事になってきます。どのような問いを子ども達に投げかるのか、問い作りが教師に求められてきます。これは、とんでもなく難しいけどやりがいのあることだと思っています。
何を教えるのかではなく、何を考えさせるのか。そのための問いは、どんなことがいいのか。このことを日々考えています。
まとめ
発信する力が大切な時代。
ただし、自分の中に考えがないと発信することはできません。考えることの大切さ。これを子ども達に伝えていきたいです。
今日も読んでくださってありがとうございます。