本屋さんに行くと、ついつい文庫本コーナーに足を運びます。移動の時は、文庫本。
それは、コンパクトでかさ張らないので、さほど荷物にならないからです。先日、文庫本コーナーで見つけたのが、大村はま著『教えるということ』です。これを購入して、読みました。
3度目の出会い
実は、この本を読むのは、3度目です。
最初は、先生になりたかった学生時代。
2度目は、先生に成り立ての24-25歳。
そして、今回です。同じ本を何度も読むことはそんなにないのです。
ですから、このタイミングで三度読むことになったのは、「きっと意味があるに違いない」という気持ちで読みました。
職員室は研究する場であるべき
大村さんは、ハッキリとこう言われています。
研究をしない教師は、先生ではない。
大村さんが、初めて赴任した学校では各先生が、熱心に研究をなさっていたそうです。職員室が、学ぶ雰囲気であったことが、その後の大村さんの研究していく姿勢に繋がったそうです。今でこそ、本屋さんに行けば、教科指導やクラス経営に関する本は、山のように売られています。はたまた、ネットで検索すれば、指導案など無料で手に入る時代です。それに感けて、指導書を見て授業に臨むことや今までの経験にすがって授業をしてしまうことがありがちです。
もちろん、大村さんが教鞭をとられている時代は、そのようなものはありません。だからこそ、熱心に研究をされて授業を創ってこられたのでしょう。
しかし、時代がどうあれ、先生は、教えることを生業としているのだから、授業研究をやることは、当然なのだと思います。
これは、自戒の念を込めてです。やっぱり、先生は教えるプロなのだから、「教える」ということに対して常に意識して学び、実践していく必要があります。
職員室を研究する場、学び合う場にしていこうと感じさせてくれました。
大村さん自身、50年程先生をされたそうですが、常に新しい方法を模索し、教材を探し続けていたそうです。
研究を失った教師は、子どもとは違う世界にいる人。
浦島太郎状態になってしまう訳だから、常に学び続けて欲しいというメッセージを残しています。
背筋がしゃんと伸びる言葉が、散りばめられて1冊。やはり、タイミングよく本は、やってくるなぁ。つくづく思いました。
今日も読んでくださってありがとうございます。