今日も『ごんぎつね』の授業の話です。
第2場面です。ここは、兵十のおっかあが亡くなってしまい、お葬式が行われることをごんが目撃する場面です。
ちなみに4年前にした授業の記録がこちら↓↓
第2場面は、後にごんが、兵十に対して行う償いの行為をすることを決心する大切な所です。
故に、ごんが「思う」事や「考える」事がたくさん出てきます。
共感マップを使うと、そこが顕著に現れます。
物語文って、お話の中に入り込んで、主人公の気持ちになる。登場人物と同じ目線で感じる。
これが、大事なのではないでしょうか。
純粋に、お話を楽しむ。
読解力とか設題に答える為に読むとか・・・。
そんな所ではなく、お話の中にグッと入り込んで、主人公の気持ちを追体験する。
こういう事ができるような授業をするのが、国語の授業だと思うのです。
超理想なことを言っています。
自分がそんな事が出来ているなんて、まだ言い切れませんが、そこを目指しているのです。
その理想に近づけるのが、共感マップを使った物語文の授業ではないかと考えています。
「思う」と「考える」の違いは?
4年前の授業で、「思う」と「考える」の違いに触れていました。ですので、今日もそこに迫ってみました。
「思う」と「考える」の違いは何だろう?
- 思うは、感情、考えるは、整理したもの
- 思うは、反射、考えるは、判断
- 思うは、直感、考えるは、考える(笑)
普段使っている言葉を、違う言葉を使って説明させると、子ども達は問いに向き合いますね。
反射と判断と答えた男の子は、「理科で習った反射に例えると・・・」と他教科で学んだことに関連して説明してくれました。
その他の発表にしても、発表した意見に関連づけながら、考えを膨らませるようにしていました。
誰かの意見が広がって、学びが深まる。
これこそが、複数で学ぶ意味じゃないでしょうか。答えが複数ある問いに対して、クラスで考えていく。合っている&違っているといった二者択一の問いだけを考える場は、もはや学校では必要ないのです。これは、言い切ります。
共感マップという思考ツールは、本来ビジネスシーンで活用され、顧客のニーズをチームで共有するためのものです。
それを応用して、国語の授業で活用し、誰でも主人公の気持ちになりきれるツールになっています。
全員参加で、お話の中に入り込み、主人公の気持ちになりきれる。共感マップは、そんなことを可能にしてくれるものです。
今日も読んでくださってありがとうございます。