ちいちゃんのかげおくり授業実践、4時目です。三場面を共感マップを用いて、読み取りました。
ひとりぼっちからの・・・
空襲から逃げ切れたものの、お母さんやお兄ちゃんと別れ離れになってしまったちいちゃん。
ひとりぼっちの状態で、朝を迎えることになります。夜が明けて、過ごしていると、声を掛けられるのです。
「ちいちゃんじゃないの。」
それは、斜向かいに住んでいるおばさんでした。ひとりぼっちの寂しい状況に、知っている人と出会えたという一筋の光が差し込みます。
おばさんは、どうやら今から戻るということで、ちいちゃんも一緒に連れて行ってもらうことになりました。
深くうなずいた理由
おばさんに連れられて家に戻ったちいちゃん。
そこには、焼け落ちた家がありました。
お母さんもお兄ちゃんもいない、さらに自分の家も無くなってしまった。この悲しみは、相当のものだと推察できます。
「お母ちゃんたち、ここに帰ってくるの。」
ちいちゃんは、深くうなずきます。
「じゃあ、だいじょうぶね。あのね。おばちゃんは、今から、おばちゃんのお父さんのうちに行くからね。」
ちいちゃんは、また深くうなずきました。
2回深くうなずいたちいちゃん。
どうして、おばさんに助けを求めなかったのでしょうか。これを子供たちに問いかけてみました。すると、2種類の考えが出て来ました。
- 迷惑をかけたくない
- 落ち込み過ぎて言葉が出ない
戦争で困っているのは、自分だけではないので、自分が独りぼっちになっていることをおばあさんに伝えると、迷惑になると思って伝えなかったという考え。
一方、お父さんが出征し、お母さんとお兄さんと離れ離れとなってしまい、自分の家も焼け落ちてしまっている。失意にどん底にいるため、言葉が出てこないという考え。
やはり、家族と住んでいた家を一瞬で失ってしまったことへの不安と先の見えない未来に対する恐怖が入り交じっている。
初めは、迷惑をかけたくない派が多かったのですが、ここでのちいちゃんの状況を確認していくと、言葉が出てこない派の考えが主流となってきました。
失意のどん底
何とか命は、途絶えることありませんでした。
それでも、質素な暮らしは続きます。夜は、洞窟で眠り、お腹が減れば、ざつのうの中にあったほしいいを食べる。独りぼっち、そして空腹の状態。身も心もボロボロではありますが、やはり生きていることは、この場面においていい事になります。生に対する喜びを感じる。生きていることが、当たり前ではない時代をちいちゃんは生きていることを実感する。
この場面は、そこを顕著に示すことができます。物語を通して、生きていることの素晴らしさと難しさを感じてもらいたいと思い、これこそが、物語文の授業の醍醐味です。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。