いつもよりも短い夏休み。
今日から、勤務校は2学期が始まりました。
始業式は、背筋がピンと伸びる大切な行事です。コロナウィルスの関係で、始業式は放送によるものでした。スクリーン越しに、校長先生の話を聞く。スピーカーから流れてくる校歌を教室で歌う。全校で集まる機会は、今後ごく僅かになっていくかもしれませんね。
集う意味が問われる
そんな世の中になっていくような気がします。
わざわざ大勢が集まる必要がない。
コロナウィルスによって、オンラインでもできることが、浮き彫りとなってきました。
裏を返せば、集まることの重要性を確認できたということになります。
それは、目的を持って集まることの意義です。
ただ単に、寄り合えばいい。
ことわざに対して、物申すようですが、
三人寄れば文殊の知恵
この発想からの脱却です。
何となく集まったら、いいアイデアは生まれる。それは、幻想です。やはり、目的を共有するもの同士が、集まるからこそ新しいアイデアがうまれるのです。
学校の場合、その最小単位は、クラスになります。やはり、クラスでの授業が目的をもって、活発に対話することで、新しいことや気づきを生む。そして、個々の成長に繋がる。これこそが、理想的なクラスの状態では、ないでしょうか。
そうなると、教室に集って、何をするのか。
私たち教師は、本当に考えないといけませんよね。考えれば、考えるほど旧態依然として行われている活動にメスを入れたくなるのが、感度の高い教師でしょう。でも、大きな山は動かない。それでも、押さないことには、動かない。
簡単に子供と大人が集い、対話できる場が学校です。教師は、未来を創る職業である。僕は、そう思っています。
今のような最悪な状況だからこそ、最高の未来を描くことができる。
僕たち先生は、面白い未来を描いていく子供たちを育てる一翼を担っていることを自覚して、日々の授業をしていく必要があるな。
2学期の始業式に感じた次第です。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。