眼鏡のカガヤキ☆

眼鏡を通して見えるキラキラした日常をお伝えします。岡山で小学校の先生をしている僕が、授業実践や読んだ本・好きな音楽・子育てについてキラッと輝くことをお伝えするブログです。

音声コンテンツ

日曜日の朝。

お風呂掃除をしながら、Podcastを聴いていました。動画ではなく、音声の方が好きです。

ラジオっ子の僕としては、ながらができる音声コンテンツの方が性に合っています。

 

それにしても、音声メディアの巻き返しが大きいですよね。TVというメディアが、流行や娯楽、情報を席巻していた20世紀。みんなの知っているを作り出したTV。だからこそ、同世代であれば、TV番組や漫画、ゲームなど知っていることが共有できる。それは、年を重ねた今もできるわけです。

 

時は流れ、21世紀。YouTubePodcast 、そしてサブスクサービスが展開されるようになりました。AMラジオ、FMラジオと言った垣根が僕が学生時代だった20年くらい前には確かに存在していました。そもそも、ラジオもチューニングしてて聴いていたので、どうすれば電波状況が良くなるのかを考えていました。

 

兵庫県姫路市では、AM四国は入るけど、AM大阪は入りにくいとか、日曜日の深夜には、よく分からないハングル放送が聞こえてくるような時代です。

 

ニュースや歴史など自分の興味に合う番組を見つける事ができるのが、Podcastの良さです。

 

視覚よりも、聴覚へ訴えてくるもの。

動画の場合どうしても向き合わないといけない。音声の場合は、ながらができる。

大手のラジオがPodcast版として発信しているものもありますが、Podcast番組として個人で発信されている方もいます。特に、歴史系は僕のお気に入りです。

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僕が社会科を好きなこともありますが、歴史はずっと学び続ける必要があるコンテンツです。

両番組とも、「歴史が好き」というところから専門家でない視点から語っていらっしゃることに良さがあります。放送するために、学ぶという姿勢が、素晴らしいのです。

 

何でもそうですが、「知っているつもり」や「分かっているつもり」が一番危ないのです。知らないことだらけ、だから知りたい。知ったことをアウトプットする。このサイクルを回したいと思います。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

つなぐ

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自分の中で、社会科へ対する熱量が高まった今年度です。そのきっかけを与えてくれたのは、後輩が県の社会科部会の研究授業をすることに手を挙げたことです。

 

この組織は、大多数が公立・国立の先生方で構成されています。そのような組織において、私立小学校に勤務している僕たちが公開授業をする訳ですから、提案性のあるものにしたい。こういう気持ちで、授業を練ってきました。そのためには、もう一度社会科について学び直す必要を感じました。

 

幸い、今年度は社会科主任をしているので、校内で社会科を担当している教員と定期的に授業の意見交換を行なってきました。また、「社会科通信」を発行しました。僕が社会科について考えていることや本を読んで学んだこと、各学年の授業実践などを定期的に発信しました。

 

そして、社会科に関する研究発表会にも積極的に足を運びました。他の先生方の実践を見ることで、足元にも及ばず落ち込むこともありましたが、それが刺激となって自分でも社会科に関してレベルアップできたなと胸を張って言えます。やはり、インプットとアウトプットの質も量も高めることが、成長に繋がるのでしょう。

 

前置きが長くなってしまいましたが、学年末が近づいてきました。4年生の社会科では、今最後の単元である「外国とつながる倉敷市」を学習しています。

 

外国人観光客が多く訪れる倉敷市

僕も年末に教材研究のために倉敷美観地区へ行きました。

 

そんな外国人観光客の方へ対応しているのが、観光案内所です。今週は、観光案内所とZoomを使ってインタビューを行いました。

そもそも、子供たちが観光案内所という場所を訪れたことがないということもよく分かりました。まずはスタッフの方に、観光案内所の仕事内容を説明していただきました。その後、子供たちの質問に答えてもらいました。

 

英語を使って、説明することが基本だということを聞いた女の子は、「私たちも英語を勉強しているから将来働くことができるかも」ということを言っていました。きっと、その子の中で自分の職業選択の一つに観光案内所というものが入ったのでしょう。実際に働いている方の話を聞くということが、子供たちにとって今自分たちが学んでいることと、どうつながるのかということを認識を持つ機会となるということがよく分かった瞬間でした。

 

教科書や資料集には載っていないことが、インタビューすることで得られる。話を聞くことの大切さに気づいてくれたら嬉しいなぁ。

社会科は、実社会のことを学ぶ教科です。だからこそ、声が聞ける「今」という時間は、できる限り繋げたいのです。そこの場所を訪れる、そこの場所の人に聞いてみる。繋げることで、学びがリアルになってきます。リアルになるからこそ、「これから」を考えていけるように思うのです。

 

だから僕は、そこへ行きたい。

行って見て話してそれを授業に落とし込む。

テクノロジーが進化しているから、直接行くのが難しいようなところでも、連絡をとってリモートでインタビューだってできます。

 

後輩が、研究授業をしたいと勇気を持って手を挙げてくれたことに本当に感謝しています。さぁ、次はこの喜びや楽しみを校内へ波及させていくことが僕の役割です。そして、校内だけじゃなくて、同じような考えをしている人と繋がっていきます。そんなグループを作る予定です。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

違いは何だ?

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どんな状況でも動けないヒト。

危機感を感じることができないヒト。

そういうヒトが、周りから助けれる。

これがいいのか悪いのか。

出来なさすぎるヒトには、救いの手差し伸べられるという法則。これを僕は人徳と呼んでいます。

信頼は培っていくものですが、人徳は生まれ持っているもののように思えます。

 

それは、同じ事をやってもこのヒトはOKで、このヒトはNGということがあるからです。

 

もちろん、それまでの事柄も関係しているでしょうが、最終的には「このヒトなら」ということです。確かに、ヒトで判断される要素はあるのです。僕は、それを人徳と呼んでいます。

 

それでは、人徳を積むにはどうしたらいいのでしょうか。何かをしたらいい。そのような明確なものを見つけるまでには至っていません。ズルいようですが、出来ないという欠けていることが多いヒトは、面倒を見てもらいやすい傾向にあります。だからと言って、何にも出来ないヒトを助けたいかということにはなりません。

 

「助けたい」と思わせる何かがあるからこそ、助けてもらえるのです。それが何なのかは今のところ言語化できていません。これを解明すれば、誰でも助けてもらうことが可能になりそうです。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

不便さや不親切さが必要なのでは

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ヒトは、より良い暮らしを送るために様々なものを生み出して来ました。人類の歩みこそが、技術進化の歴史と言ってもいいでしょう。

 

便利で豊かな暮らしができるということは、そこに必ず新しい技術が加わっているということです。釜戸を使ってお米を炊いていた所から、炊飯器が開発された。洗濯板を使って洗濯をしていた所から、洗濯機が開発された。

これらは、画期的な発明であったことでしょう。圧倒的な時短となったわけです。

 

炊飯器や洗濯機、掃除機や冷蔵庫などが生まれたことにより、私たちの生活は便利で豊かになりました。これらを考えだしたヒトは、とてつもない功績を人類に残しています。

現代社会において、その筆頭はiPhoneを代表とするスマートフォンです。

 

いまや、「電話」と言いながら通話を手段として使っている場面は、ごく僅かです。何かを検索して調べたり、写真を撮ったり、音楽を聴いたりする。コミュニケーションのツールとして使用する場合でも、「電話」として使うのではなく、多くはメールなどの文字でのやり取りでしょう。さらに、個人と個人のツールだけでなく、世界に発信することさえできるのです。

実際、この記事も僕はiPhoneを使用して書いています。

 

世間は、様々なものに便利さと使いやすさを求める傾向があります。それは、使う側からすればとても有難いことです。ところが、便利であったり、使いやすいというのは、使い手の思考を削ぐことを意味しています。

 

説明書を読んだりすることなく、直感的に触れば、使うことができる道具。正しく、iPhoneはこれにあたります。こういったものを開発できる人の思考は、利用者を想定して試行錯誤してできたものでしょう。そういった人たちによって、多くの利用者は思考を妨げれているのです。

 

過度な親切さや便利さは、ヒトが思考することの妨げとなるのです。便利な世の中だからこそ、意図して不便なことや不親切なものに触れる経験が必要だと思います。

 

分かりやすい漫画や解説本ではなく、原書を読んでみる。敢えて、説明せずに、調べさせる。

 

不便や不親切は、悪いことでないのです。

それによって考える機会が生まれることなのです。不親切に接することは、嫌われることかもしれません。しかし、手取り足取り教えることは、思考を奪っている行為です。そこまで考えて、親切や分かりやすい関わりをすることは、構いませんが、親切ありきで接しているだけでは迷惑となりかねます。

 

アナログな僕とすれば、敢えて不便や不親切な環境に身を置くようにしています。そう言いながらも、今は快適なソファーの上で、ダラダラしながら、iPhoneでこの記事を書いている。

 

矛盾しているような状況です。

不便だろうが、便利であろうが自分が意図を持って選択をできる環境を作ること。そして、選択したものは、自分が責任持って取り組むことが大切だと思いました。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

みぃーつけた

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今日は、放課後に実施された校内自主研修で発表する機会がありました。他校の研究会に参加した学んだことを発表させていただきました。

 

昨年末から年始、2月初旬にかけて幾つかの学校で実施された発表会に足を運びました。

今年度は、コロナが5類へ移行されたので、久しぶりに対面での研究会が再開されています。画面越しではなく、リアルに授業を参観できる機会なので、日程が合うものには参加するようにしています。

 

僕が研究会へ足を運ぶのは、2つの理由があります。大前提として、お出かけできるということもありますよ。

 

①新しいものを取り入れる

公開授業や協議会を通して、これまで自分が知らなかった授業スタイルや教材に関する知識、協議会で出会う人など、研究会へ足を運びことで得るヒト・モノ・コトがあります。

20代の時に僕は、研究会へ行くことでこの3つを得てグッと成長するきっかけとなりました。それは今も変わらず、足を運べば、日常では得られないことに出会うのです。

 

②自分の現在地を知る

年齢も経験も重ねてきました。正直、研究会へ参加することで、すべで新鮮で新しいことに出会えるような感覚は薄れて来ました。中には、自分の方が上手くできているといったことも沢山あります。そういう意味では、研究会へ参加して、授業を見たり、他校の先生と話をすることで、自分の今の力を理解できるわけです。

「自分がイケてるのか!?」

気になるところですよね。他校の実践と比較することで、自分の授業の質が見えてくるのです。意外とイケてる判断をしています。うちの先生方は、いい授業をしているなとつくづく思います。そこに気づいていない人もいるし、反対も然りです。

 

見つける

自分に必要な事柄は、いつだって隠れています。探すしかないのです。やって来るのではなく、取りに行くのです。その場所に確かにそれはありますが、見つからないのは、見方が悪いのです。あるけど、見えていない。厳しい言い方をすると、見る気がないのです。見方さえ身につければ、見つけるようになれます。誰かが教えてくれるのではなく、自分から拾いに行く。自分が見つけたことだから、記憶に残る。

だから、実践する、そして身につくのです。

校内で予定されている研修で満足するのではなく、見つけに行く気持ちで研究会などに参加するだけでも、収穫があります。

結局のところ、主体があるかどうかということに尽きるのでしょう。自分がどうしたいのかがなければ、どんなにいいモノを手に入れたとしても扱いきれません。道具を増やすよりも、どんなふうになりたいか。子供たちに、目標をもって取り組もうと言っているけど、大人ができているのかなぁ。いくつになっても、学ぶことに貪欲でありたい。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

ついに実施されました

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2月5日(月)に、職場の後輩が今年度長い時間をかけて準備をしてきた研究授業が、ついに実施されました。それこそ、年度初めから構想を練っていたのでほぼ1年をかけて準備してきたと言っても過言ではありません。

 

1学期の間に、研究会で話を重ねて取り上げる単元や大まかな授業の流れが出来ていました。それを指導案として、夏休みの集まりに指導案を持って行きました。ところが、どんでん返しをくらい、夏休みが終わった段階では白紙となってしまいました。その時のことを、過去の記事に記していたので、詳細は下記の記事をお読みください。

 

2学期に入ると、今度は校内の公開授業の準備もあり、こちらの研究会の授業を練り直す時間が取れていない状況だったと思います。僕自身も、自分の公開授業の準備をしたり、他の仕事も立て込んでいたので、一緒に考える時間がなかなか取れない状況でした。

 

幸い、扱う単元が6年生の歴史。しかも、「長く続いた戦争と人々のくらし」という日露戦争後から終戦までを学習する部分だったので、3学期に入ってから取り組む箇所でした。

校内のことがひと段落したので、11月末から、もう一度一緒に授業内容を考えました。

 

それにしても、この時代を選択して公開授業をしようとするところが、尖っています。正直、第二次世界大戦を授業で扱うことは、非常に難しいのです。学習指導要領解説にはこう書かれています。

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敗戦に至るまでの過程を理解すること、そこには、日本各地の空襲、ならびに広島・長崎への原子爆弾投下を学びます。そして、日本国民ならびにアジア諸国の人々に対して、大きな損害を与えたことに触れる。これらを扱うことは、悲観的にならざるを得ないのです。

戦争行為は、決して許されるものではありません。

ただし、今も世界のどこかで戦争は続いています。それが途切れたことがないのです。

 

戦争がない世界を目指そう。

平和な世界を創ろう。

 

歴史学習は、そんな所で終わってはいけません。約80年前に迎えた終戦ですが、自分ごとに捉えさせて考えさせるかが、歴史学習だと思います。

 

突き詰めていけば、幾ら時間があっても足りないでしょう。それだけ大切な内容だからこそ、子供たちと一緒に課題に向き合って考えていかねばならないのだと思います。

 

教師が教える、子供は教わる。

そんな関係ではなく、ともに学ぶ。

戦争や紛争の解決、平和を成し得るための活動は、年齢なんて関係ないと思います。人類の課題なのです。

 

このように壮大なテーマであり、難しい部分を含んでいる内容を研究会の公開授業として、行った後輩は素晴らしいなと思います。僕は、ここまでの度胸はありません。挑戦はしたいけど、やっぱり逃げられる道を用意した挑戦です。若さが先行して、授業公開まで漕ぎ着けた後輩に憧れを覚えました。

 

加えて言うならば、ICTをフル活用した授業だったことです。意見共有のために、PadletやSeesawといったアプリを使用していました。

「ICTの活用」に関しては、僕が強くアドバイスしました。岡山市は、殆ど使用されていないと言うことを、我が子の授業参観から感じていたからです。こんなことも出来るんだということを提案して欲しいという想いから、ICTをどう活用するかを一緒に考えました。

 

授業後の協議会では、「戦争」というテーマを扱ったところから、様々な意見が出ていました。これは、研究授業として実施して意味があったことでしょう。参観された方が、「自分ならどうする」という考えを持ち、授業を自分ごとに捉えてくれたからです。

 

一方、ICT活用に関しては、歴然とした活用方法に驚いているような感想でした。これはこちらの思惑通りです。勤務校としては、普段通りにしていることが、普通じゃない。後輩にも自信となったことでしょう。

 

もちろん、課題もありましたが、それはこれからの改善点。もっともっと成長していく後輩には、学びとなった授業だったと思います。本人は気づいていないかもしれませんが、会心の一撃となった授業でした。お疲れ様でした。

 

ちょろっとお手伝いした程度ですが、僕も自分ごとのように嬉しいです。後輩に足元を掬われないように、レベルアップしないとです。追い越されてしまいそう。それもまた喜びであり、僕に新しい世界を見せてくれることです。

 

新卒でやってきて、意気揚々としていた4年前。始業式の前日に、「授業を見てほしい」と言われて10分くらい見た後、同じ内容で僕が授業を見せました。圧倒的な違いに、ボロボロ泣いていた後輩。

 

あっという間に、成長して岡山県の研究会の公開授業をするようになっていました。自分の成長よりも、後輩の成長が楽しみであり、喜びと言えるようになった僕も少しは大人になったのかな。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。