2月5日(月)に、職場の後輩が今年度長い時間をかけて準備をしてきた研究授業が、ついに実施されました。それこそ、年度初めから構想を練っていたのでほぼ1年をかけて準備してきたと言っても過言ではありません。
1学期の間に、研究会で話を重ねて取り上げる単元や大まかな授業の流れが出来ていました。それを指導案として、夏休みの集まりに指導案を持って行きました。ところが、どんでん返しをくらい、夏休みが終わった段階では白紙となってしまいました。その時のことを、過去の記事に記していたので、詳細は下記の記事をお読みください。
2学期に入ると、今度は校内の公開授業の準備もあり、こちらの研究会の授業を練り直す時間が取れていない状況だったと思います。僕自身も、自分の公開授業の準備をしたり、他の仕事も立て込んでいたので、一緒に考える時間がなかなか取れない状況でした。
幸い、扱う単元が6年生の歴史。しかも、「長く続いた戦争と人々のくらし」という日露戦争後から終戦までを学習する部分だったので、3学期に入ってから取り組む箇所でした。
校内のことがひと段落したので、11月末から、もう一度一緒に授業内容を考えました。
それにしても、この時代を選択して公開授業をしようとするところが、尖っています。正直、第二次世界大戦を授業で扱うことは、非常に難しいのです。学習指導要領解説にはこう書かれています。
敗戦に至るまでの過程を理解すること、そこには、日本各地の空襲、ならびに広島・長崎への原子爆弾投下を学びます。そして、日本国民ならびにアジア諸国の人々に対して、大きな損害を与えたことに触れる。これらを扱うことは、悲観的にならざるを得ないのです。
戦争行為は、決して許されるものではありません。
ただし、今も世界のどこかで戦争は続いています。それが途切れたことがないのです。
戦争がない世界を目指そう。
平和な世界を創ろう。
歴史学習は、そんな所で終わってはいけません。約80年前に迎えた終戦ですが、自分ごとに捉えさせて考えさせるかが、歴史学習だと思います。
突き詰めていけば、幾ら時間があっても足りないでしょう。それだけ大切な内容だからこそ、子供たちと一緒に課題に向き合って考えていかねばならないのだと思います。
教師が教える、子供は教わる。
そんな関係ではなく、ともに学ぶ。
戦争や紛争の解決、平和を成し得るための活動は、年齢なんて関係ないと思います。人類の課題なのです。
このように壮大なテーマであり、難しい部分を含んでいる内容を研究会の公開授業として、行った後輩は素晴らしいなと思います。僕は、ここまでの度胸はありません。挑戦はしたいけど、やっぱり逃げられる道を用意した挑戦です。若さが先行して、授業公開まで漕ぎ着けた後輩に憧れを覚えました。
加えて言うならば、ICTをフル活用した授業だったことです。意見共有のために、PadletやSeesawといったアプリを使用していました。
「ICTの活用」に関しては、僕が強くアドバイスしました。岡山市は、殆ど使用されていないと言うことを、我が子の授業参観から感じていたからです。こんなことも出来るんだということを提案して欲しいという想いから、ICTをどう活用するかを一緒に考えました。
授業後の協議会では、「戦争」というテーマを扱ったところから、様々な意見が出ていました。これは、研究授業として実施して意味があったことでしょう。参観された方が、「自分ならどうする」という考えを持ち、授業を自分ごとに捉えてくれたからです。
一方、ICT活用に関しては、歴然とした活用方法に驚いているような感想でした。これはこちらの思惑通りです。勤務校としては、普段通りにしていることが、普通じゃない。後輩にも自信となったことでしょう。
もちろん、課題もありましたが、それはこれからの改善点。もっともっと成長していく後輩には、学びとなった授業だったと思います。本人は気づいていないかもしれませんが、会心の一撃となった授業でした。お疲れ様でした。
ちょろっとお手伝いした程度ですが、僕も自分ごとのように嬉しいです。後輩に足元を掬われないように、レベルアップしないとです。追い越されてしまいそう。それもまた喜びであり、僕に新しい世界を見せてくれることです。
新卒でやってきて、意気揚々としていた4年前。始業式の前日に、「授業を見てほしい」と言われて10分くらい見た後、同じ内容で僕が授業を見せました。圧倒的な違いに、ボロボロ泣いていた後輩。
あっという間に、成長して岡山県の研究会の公開授業をするようになっていました。自分の成長よりも、後輩の成長が楽しみであり、喜びと言えるようになった僕も少しは大人になったのかな。
今日も読んでいただきありがとうございます。