眼鏡のカガヤキ☆

眼鏡を通して見えるキラキラした日常をお伝えします。岡山で小学校の先生をしている僕が、授業実践や読んだ本・好きな音楽・子育てについてキラッと輝くことをお伝えするブログです。

2枚の写真を比べると

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多様性が叫ばれている昨今、検索してみると今年の春に行われた入社式の様子を見つけました。いわゆるリクルートスーツでの入社式。ブラックスーツなんて、お葬式関係にしか着ないですよね。異様な写真です。多様性や自分らしさが求められている世の中なのに、どうして全員が同じような服装なのでしょう。

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こちらは、同じ企業の入社式の様子です。男女が分かれて並んでいることに、違和感を覚える人もいるようです。僕が学生の時は、名簿は男女別でした。それ故に、男女が分かれて座っているのでしょう。ちなみに、この写真は1972年の入社式だそうです。女性は、色とりどりのスーツですよね。男性も、グレーのスーツの方もいるので、皆が同じではなさそうです。

 

自分らしさ

1972年では、学校では、みんなと一緒が求められていました。今の時代から見ると、理不尽なことはたくさんあったと思います。学生時代は、理不尽や苦労を経験する場と世間が認識していたのかもしれません。「若いうちの苦労は、買ってでもしろ」という風潮がありました。理不尽経験するからこそ、自由の有り難さを実感するような感じです。社会人になって、自分を表現できるようになる。ここからが、自分を表現できる世の中。もちろん、大変なことも数多くあったでしょうが、世の中の流れや雰囲気として、行動が報われる。努力して真面目に取り組むことが評価される社会だったのではないでしょうか。

 

今はどうでしょう。若い時は、多様性の名のもとで、個を大切にされるのでかつての様な揃えることが、そこまで求められることがなくなりました。できないことも個性とされて、無理にさせられることも殆どありません。もちろん、理不尽なことはする必要はありませんが、理不尽と苦手なことから逃げるということの境目が分かりにくいようになって来ました。強い指導もしにくい時代なので、やりたくないことを無理にさせることは、なくなりました。

 

しかし、社会人になる時に揃えなければならないという同調圧力に多くの若者が従っているようです。企業は、自由服と求めていても、結局リクルートスーツで行けば無難と選択してしまう。目立つことを避けて、忍者のように周りに馴染むことをしたがる傾向にある。


だから、「自分らしさ」を発見するカリキュラムが仕組まれるようになったのではないでしょうか。それが、探究活動です。自分で問いを設定して、調べてまとめて発表する。与えられるのではなく、自分から取りに行く。好きなことが分からないから、好きなこと見つけをする。

自分らしさを発見することを、授業として組み込まれているわけです。本来であれば、自分自身がしなければいけないことを、わざわざ仕組まれているのです。これを良しとするのか異様と捉えるかは、人によって違うでしょう。

 

僕の肌感覚では、今は大人が生きづらい時代のように思えています。ただ、転換期のようにも思えます。新しい学び方や働き方に変わりつつある。だから、混沌としていると言ってもいいかもしれません。

 

自分が通って来た時代が正解ではありません。

目の前の子供たちと向き合いつつ、何が大切なのか。もちろん、古くから続いていることの中にも本質や軸となる考えは、たくさんあります。それと、時代に合ったものを取り入れていけるのが、重要なのでしょう。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。