眼鏡のカガヤキ☆

眼鏡を通して見えるキラキラした日常をお伝えします。岡山で小学校の先生をしている僕が、授業実践や読んだ本・好きな音楽・子育てについてキラッと輝くことをお伝えするブログです。

違いは何だ?

f:id:meganenokagayaki:20240216215608j:image

どんな状況でも動けないヒト。

危機感を感じることができないヒト。

そういうヒトが、周りから助けれる。

これがいいのか悪いのか。

出来なさすぎるヒトには、救いの手差し伸べられるという法則。これを僕は人徳と呼んでいます。

信頼は培っていくものですが、人徳は生まれ持っているもののように思えます。

 

それは、同じ事をやってもこのヒトはOKで、このヒトはNGということがあるからです。

 

もちろん、それまでの事柄も関係しているでしょうが、最終的には「このヒトなら」ということです。確かに、ヒトで判断される要素はあるのです。僕は、それを人徳と呼んでいます。

 

それでは、人徳を積むにはどうしたらいいのでしょうか。何かをしたらいい。そのような明確なものを見つけるまでには至っていません。ズルいようですが、出来ないという欠けていることが多いヒトは、面倒を見てもらいやすい傾向にあります。だからと言って、何にも出来ないヒトを助けたいかということにはなりません。

 

「助けたい」と思わせる何かがあるからこそ、助けてもらえるのです。それが何なのかは今のところ言語化できていません。これを解明すれば、誰でも助けてもらうことが可能になりそうです。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

不便さや不親切さが必要なのでは

f:id:meganenokagayaki:20240215225035j:image

ヒトは、より良い暮らしを送るために様々なものを生み出して来ました。人類の歩みこそが、技術進化の歴史と言ってもいいでしょう。

 

便利で豊かな暮らしができるということは、そこに必ず新しい技術が加わっているということです。釜戸を使ってお米を炊いていた所から、炊飯器が開発された。洗濯板を使って洗濯をしていた所から、洗濯機が開発された。

これらは、画期的な発明であったことでしょう。圧倒的な時短となったわけです。

 

炊飯器や洗濯機、掃除機や冷蔵庫などが生まれたことにより、私たちの生活は便利で豊かになりました。これらを考えだしたヒトは、とてつもない功績を人類に残しています。

現代社会において、その筆頭はiPhoneを代表とするスマートフォンです。

 

いまや、「電話」と言いながら通話を手段として使っている場面は、ごく僅かです。何かを検索して調べたり、写真を撮ったり、音楽を聴いたりする。コミュニケーションのツールとして使用する場合でも、「電話」として使うのではなく、多くはメールなどの文字でのやり取りでしょう。さらに、個人と個人のツールだけでなく、世界に発信することさえできるのです。

実際、この記事も僕はiPhoneを使用して書いています。

 

世間は、様々なものに便利さと使いやすさを求める傾向があります。それは、使う側からすればとても有難いことです。ところが、便利であったり、使いやすいというのは、使い手の思考を削ぐことを意味しています。

 

説明書を読んだりすることなく、直感的に触れば、使うことができる道具。正しく、iPhoneはこれにあたります。こういったものを開発できる人の思考は、利用者を想定して試行錯誤してできたものでしょう。そういった人たちによって、多くの利用者は思考を妨げれているのです。

 

過度な親切さや便利さは、ヒトが思考することの妨げとなるのです。便利な世の中だからこそ、意図して不便なことや不親切なものに触れる経験が必要だと思います。

 

分かりやすい漫画や解説本ではなく、原書を読んでみる。敢えて、説明せずに、調べさせる。

 

不便や不親切は、悪いことでないのです。

それによって考える機会が生まれることなのです。不親切に接することは、嫌われることかもしれません。しかし、手取り足取り教えることは、思考を奪っている行為です。そこまで考えて、親切や分かりやすい関わりをすることは、構いませんが、親切ありきで接しているだけでは迷惑となりかねます。

 

アナログな僕とすれば、敢えて不便や不親切な環境に身を置くようにしています。そう言いながらも、今は快適なソファーの上で、ダラダラしながら、iPhoneでこの記事を書いている。

 

矛盾しているような状況です。

不便だろうが、便利であろうが自分が意図を持って選択をできる環境を作ること。そして、選択したものは、自分が責任持って取り組むことが大切だと思いました。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

みぃーつけた

f:id:meganenokagayaki:20240213223613p:image

今日は、放課後に実施された校内自主研修で発表する機会がありました。他校の研究会に参加した学んだことを発表させていただきました。

 

昨年末から年始、2月初旬にかけて幾つかの学校で実施された発表会に足を運びました。

今年度は、コロナが5類へ移行されたので、久しぶりに対面での研究会が再開されています。画面越しではなく、リアルに授業を参観できる機会なので、日程が合うものには参加するようにしています。

 

僕が研究会へ足を運ぶのは、2つの理由があります。大前提として、お出かけできるということもありますよ。

 

①新しいものを取り入れる

公開授業や協議会を通して、これまで自分が知らなかった授業スタイルや教材に関する知識、協議会で出会う人など、研究会へ足を運びことで得るヒト・モノ・コトがあります。

20代の時に僕は、研究会へ行くことでこの3つを得てグッと成長するきっかけとなりました。それは今も変わらず、足を運べば、日常では得られないことに出会うのです。

 

②自分の現在地を知る

年齢も経験も重ねてきました。正直、研究会へ参加することで、すべで新鮮で新しいことに出会えるような感覚は薄れて来ました。中には、自分の方が上手くできているといったことも沢山あります。そういう意味では、研究会へ参加して、授業を見たり、他校の先生と話をすることで、自分の今の力を理解できるわけです。

「自分がイケてるのか!?」

気になるところですよね。他校の実践と比較することで、自分の授業の質が見えてくるのです。意外とイケてる判断をしています。うちの先生方は、いい授業をしているなとつくづく思います。そこに気づいていない人もいるし、反対も然りです。

 

見つける

自分に必要な事柄は、いつだって隠れています。探すしかないのです。やって来るのではなく、取りに行くのです。その場所に確かにそれはありますが、見つからないのは、見方が悪いのです。あるけど、見えていない。厳しい言い方をすると、見る気がないのです。見方さえ身につければ、見つけるようになれます。誰かが教えてくれるのではなく、自分から拾いに行く。自分が見つけたことだから、記憶に残る。

だから、実践する、そして身につくのです。

校内で予定されている研修で満足するのではなく、見つけに行く気持ちで研究会などに参加するだけでも、収穫があります。

結局のところ、主体があるかどうかということに尽きるのでしょう。自分がどうしたいのかがなければ、どんなにいいモノを手に入れたとしても扱いきれません。道具を増やすよりも、どんなふうになりたいか。子供たちに、目標をもって取り組もうと言っているけど、大人ができているのかなぁ。いくつになっても、学ぶことに貪欲でありたい。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

ついに実施されました

f:id:meganenokagayaki:20240207211846j:image

2月5日(月)に、職場の後輩が今年度長い時間をかけて準備をしてきた研究授業が、ついに実施されました。それこそ、年度初めから構想を練っていたのでほぼ1年をかけて準備してきたと言っても過言ではありません。

 

1学期の間に、研究会で話を重ねて取り上げる単元や大まかな授業の流れが出来ていました。それを指導案として、夏休みの集まりに指導案を持って行きました。ところが、どんでん返しをくらい、夏休みが終わった段階では白紙となってしまいました。その時のことを、過去の記事に記していたので、詳細は下記の記事をお読みください。

 

2学期に入ると、今度は校内の公開授業の準備もあり、こちらの研究会の授業を練り直す時間が取れていない状況だったと思います。僕自身も、自分の公開授業の準備をしたり、他の仕事も立て込んでいたので、一緒に考える時間がなかなか取れない状況でした。

 

幸い、扱う単元が6年生の歴史。しかも、「長く続いた戦争と人々のくらし」という日露戦争後から終戦までを学習する部分だったので、3学期に入ってから取り組む箇所でした。

校内のことがひと段落したので、11月末から、もう一度一緒に授業内容を考えました。

 

それにしても、この時代を選択して公開授業をしようとするところが、尖っています。正直、第二次世界大戦を授業で扱うことは、非常に難しいのです。学習指導要領解説にはこう書かれています。

f:id:meganenokagayaki:20240206195557j:image

敗戦に至るまでの過程を理解すること、そこには、日本各地の空襲、ならびに広島・長崎への原子爆弾投下を学びます。そして、日本国民ならびにアジア諸国の人々に対して、大きな損害を与えたことに触れる。これらを扱うことは、悲観的にならざるを得ないのです。

戦争行為は、決して許されるものではありません。

ただし、今も世界のどこかで戦争は続いています。それが途切れたことがないのです。

 

戦争がない世界を目指そう。

平和な世界を創ろう。

 

歴史学習は、そんな所で終わってはいけません。約80年前に迎えた終戦ですが、自分ごとに捉えさせて考えさせるかが、歴史学習だと思います。

 

突き詰めていけば、幾ら時間があっても足りないでしょう。それだけ大切な内容だからこそ、子供たちと一緒に課題に向き合って考えていかねばならないのだと思います。

 

教師が教える、子供は教わる。

そんな関係ではなく、ともに学ぶ。

戦争や紛争の解決、平和を成し得るための活動は、年齢なんて関係ないと思います。人類の課題なのです。

 

このように壮大なテーマであり、難しい部分を含んでいる内容を研究会の公開授業として、行った後輩は素晴らしいなと思います。僕は、ここまでの度胸はありません。挑戦はしたいけど、やっぱり逃げられる道を用意した挑戦です。若さが先行して、授業公開まで漕ぎ着けた後輩に憧れを覚えました。

 

加えて言うならば、ICTをフル活用した授業だったことです。意見共有のために、PadletやSeesawといったアプリを使用していました。

「ICTの活用」に関しては、僕が強くアドバイスしました。岡山市は、殆ど使用されていないと言うことを、我が子の授業参観から感じていたからです。こんなことも出来るんだということを提案して欲しいという想いから、ICTをどう活用するかを一緒に考えました。

 

授業後の協議会では、「戦争」というテーマを扱ったところから、様々な意見が出ていました。これは、研究授業として実施して意味があったことでしょう。参観された方が、「自分ならどうする」という考えを持ち、授業を自分ごとに捉えてくれたからです。

 

一方、ICT活用に関しては、歴然とした活用方法に驚いているような感想でした。これはこちらの思惑通りです。勤務校としては、普段通りにしていることが、普通じゃない。後輩にも自信となったことでしょう。

 

もちろん、課題もありましたが、それはこれからの改善点。もっともっと成長していく後輩には、学びとなった授業だったと思います。本人は気づいていないかもしれませんが、会心の一撃となった授業でした。お疲れ様でした。

 

ちょろっとお手伝いした程度ですが、僕も自分ごとのように嬉しいです。後輩に足元を掬われないように、レベルアップしないとです。追い越されてしまいそう。それもまた喜びであり、僕に新しい世界を見せてくれることです。

 

新卒でやってきて、意気揚々としていた4年前。始業式の前日に、「授業を見てほしい」と言われて10分くらい見た後、同じ内容で僕が授業を見せました。圧倒的な違いに、ボロボロ泣いていた後輩。

 

あっという間に、成長して岡山県の研究会の公開授業をするようになっていました。自分の成長よりも、後輩の成長が楽しみであり、喜びと言えるようになった僕も少しは大人になったのかな。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

 

ウェルビーイングって何だろう

f:id:meganenokagayaki:20240203185402j:image

職場でもウェルビーイングを目指すということを管理職が目標に掲げて話をしています。

「また新しい言葉かぁ」という懐疑的な気持ちを持ってしまうのが、穿った見方をする僕の習性です。だからと言って、拒むことはせず、言って人よりも知ろうとするのも僕の習性です。というわけで、こちらの本をよう見ました。

埼玉県の小学校で校長をされている中島晴美先生が、自校での取り組みを紹介されている1冊です。ウェルビーイングとは何かというところから、ご自身の実践を詳細に記されています。

うちの職場も本気でウェルビーイングを目指すのであれば、管理職には是非読んで欲しい。

週明けに渡そうと思います。

ウェルビーイングって言ってればいいだろう」

そんな軽い気持ちでないことを願います。新しい言葉って、定義を共有するところから始めるのがいいのですが。

こちらは、僕が月1で校内で行っている読書会で取り上げた1冊です。小学生向けのウェルビーイング本。これも一緒に渡しておこう。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

自主研究発表会に行ってきました

f:id:meganenokagayaki:20240203134928p:image

一昨日の香川大学教育学部附属高松小学校に引き続き、今日は岡山大学教育学部附属小学校自主研究発表会に参加して来ました。4年振りの対面での開催ということで、多くの先生方が参加されていました。僕の感覚では、学生が多く参加していた印象でした。

 

公開授業を2本参観できるようになっていたので、2年生算数「分数」と6年生社会科「国連の働きと日本の国際協力」を参観しました。

 

チョコレートを分けよう

f:id:meganenokagayaki:20240203135120j:image

板チョコを1/2・1/3・1/4に分けるには、どうしたらいいのかを考えた後、粒チョコ12個を1/2・1/3・1/4に分けるにはどうしたらいいのかを考えていました。アレイ図を活用しながら、どうしたら上手く分けることができるのか。上手く分けることができた時の子供の表情が良かったです。12個の次は、15個・18個と違う数で考えていました。15個は1/2や1/4に分けることができない、18個は1/4に分けることができない。そこから分けることが出来る時とそうでない時の違いも考えていました。

活動が多く、考えを共有する時間が少なかったのが勿体ないと感じました。

 

どのような支援をしている?

f:id:meganenokagayaki:20240203135129j:image

世界の中の日本の役割を学習する切り口として、ウクライナ侵攻を題材としていました。単元の構想としては、ウクライナ侵攻が人々へどのような影響を与えたのかを学習した後、「日本はウクライナをどのように支援しているのだろう」という学習問題を解決するために調べていきます。本時は、学習問題を解決場面でした。調べていく過程では、JICA、UNICEFNGOの支援についてゲストティーチャーを招いて話を聞いていたようです。今日も、各団体の方が、授業に来られていていました。まだはっきりしていないことを質問していました。

グループでの話し合いを発表して共有しながら、先生が板書でまとめていました。

日本は、「軍事支援をしていない唯一の国」という言葉を子供たちはどう捉えたのだろう。この言葉が、日本の支援の意味を考えていくところで、プラスの作用になっていないように感じました。

公開授業を通して

どちらの授業も、授業終了時刻を過ぎてもまとめの段階にまで辿りついていないために、大幅に過ぎていました。これが当たり前なのかなぁ。それから、GIGAスクール構想によって1人一台のタブレット端末が導入されているにも関わらず、全く使用されていませんでした。タブレット端末を使わないからいけないことはありませんが、考えの共有の部分では、使用した方が、簡単に短時間に共有できるのになぁ。授業研究をしている附属小学校なのに、こんなにも活用が遅れているのは、正直驚きでした。授業スタイルが、平成のまま。ペタペタ黒板に貼りものをするとか毎時間しているのかなぁ。

香川で感じたこと、今日感じたことを週明けに校内で共有しよう。僕たちには、もっと出来ることがあるはずだ。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

初等教育研究発表会へ参加しました

f:id:meganenokagayaki:20240202181344p:image

昨日、2月1日(木)に香川大学教育学部附属高松小学校で行われた令和5年度初等教育研究発表会へ参加して来ました。大学敷地内にある勤務校は、2月1日・2日と大学入試の為に休みだったので、同僚と一緒に参加しました。

県内外からたくさんの方が参加されていました。校内は、先生だらけでした。

 

初日であった昨日は、開会行事と全体提案があった後、17本の授業が公開されていました。僕は、その中から3年生社会科「市のうつりかわりと発展〜国際化する高松市〜」の授業を参観しました。

 

この単元では、自分たちの住んでいる市や人々の生活の様子が、時間の経過とともに移り変わってきたことを学習します。

 

教室に入ると、これまで学習してきた様子をまとめたものがパネル展示されていました。古い道具を使う体験やサンポート高松地区を見学した様子、市役所の方をゲストティーチャーとして招き、高松市の取り組みを教えていただいた様子などが詳細に掲示されていました。経験を大切にしているという授業の内容がよく分かりました。そして、これだけ手の込んだ展示物を作成するのは、非常に時間がかかっただろうと思いました。

 

本時は、高松市がこれからも発展していくためには、どうすればよいだろうという問いについて、グループでマトリックス図を活用しながらこれまで自分たちが考えてきたアイデアを整理する授業でした。

 

教材化する準備や自分たちが考えてきたアイデアを仕分けする取り組みは、面白かったし自分自身も教材を開発したいという気持ちが生まれてきました。

 

ただ、折角グループで話し合った内容がうまく共有できていなかったので、話し合いは消化不良のような形になってしまっており、勿体なかったというのが正直なところです。

 

協議会も参加しました。多くの先生方から質問や感想があがっていました。僕も発言しました。完璧な授業なんてなくて、様々な意見があがるからこそ、授業された先生も参観した私たちも学びがあるのだと思います。

 

僕は、教材開発の姿勢に感銘を受けました。自分はここまでできていない。どうやったら、教材を開発できるのか。このヒントを得られた研究発表会でした。そして、今日早速家に届いていた「市民のひろばおかやま」を見ると、授業で使える題材を見つけることができました。

 

挑戦するからこそ、成長ができる。

「当事者」という立場に身を置く。

僕も来年度も挑戦していきます。

そう決意することができた研究発表会でした。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。