2学期が始まりました。
あっという間の夏休みという感覚です。
夏が過ぎ去る。
僕は、休みだからといって、大きくペースを変えることなく、夏休みに入って実施したオープンスクールの実施や入試問題の作成といった入試業務を行いつつ、夏休みに実施された行事をホームページにアップする広報業務、そして2学期の授業準備などを行いました。
長期休みがあると、ペースが狂うのでそれを立て直すのが嫌なんです。完全オフにするよりも、少し仕事モードを残したい。それが、僕の働き方です。この辺りは、個人の性格や考えもあるから、何を大切にするかによるでしょう。
僕は、オンとオフを完全に切り替えることが出来ないので、緩やかなオフなのだと思います。
さて、多くの学校では、2学期に授業公開を行います。外部に向けて行うものもあれば、学校内で行うものもあります。何せ、僕達教師にとって、最大の仕事は、授業です。大切なので、もう一度書きます。授業準備こそ、一番に時間と情熱を傾ける必要があります。理想を言えば、授業準備で教員同士が考える時間の確保が出来るようになって欲しいものです。しかも、勤務時間内に!
事情は分かりませんが、授業力の向上を目的として授業を公開される先生がいます。丁度、空き時間なので、見学する予定です。
授業力という言葉。
これには、沢山の要素が含まれています。
まず、チョーク&トークが出来るという力。
次に、授業という場を創る力。
最後に、新たなコンテンツを生み出す力。
少なくとも、この3つの掛け合わせが、授業力だと僕は考えています。
最近、チョーク&トークによる一斉授業に対して、批判的な考えが多いですが、教師たるものこれが出来ることが前提だと思います。教えることができない、教えることが苦手な教師は、いけません。難しいことを簡単に、簡単なことを難しく教えることが出来るように、技を磨くことが必要でしょう。
また、子供同士を繋ぐことは大切です。そこでは、ファシリテーションの力が必要です。場を形成する。強いリーダーシップではなく、合意形成をはかれる場を創る。さらに、そういう子供をクラスの中に数人育成する。それが、一斉授業からの脱却に大きく繋がることでしょう。
そして、教材という名のネタ作りも重要です。
先輩の先生方が、積み重ねて来た実践も基に作られているのが、教科書です。教科書に沿って、授業を展開する。これだけでも、教える力が乏しい先生や若い先生には、難しいところです。しかし、教科書通りに進めていく授業には、授業者によって差異が生まれてしまうものです。例えるなら、古典落語の世界です。落語家によって、同じ演目でも、全然違ってくる世界です。
一方、再び落語で例えるなら、教材を生み出すというのは、新作落語の世界です。ネタ作りです。先生の中には、教材作りに長けている方もいれば、授業を行うことに長けているかもいらっしゃいます。お笑いの世界では、ネタ作りに長けている方は、構成作家や脚本家の道もあります。教師の世界でも、研究職という道もありますが、僕を含め教師は、他人を描いたネタを授業をすることを嫌います。授業を自分で創りたいのです。ここが、厄介なのではないでしょうか。
様々な業種で、分業が主流となっています。
もはや、高校野球に於いても、エースで4番の選手に頼るチーム作りではなく、個々の力を活かしたチーム力で戦うことが大切のである雰囲気です。そのような時代でも、飛び抜けられる人材が、スーパースターなのでしょう。
明日の公開授業。
授業力のどこを高めたいのか、授業を見学しながら発見したいと思います。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。