僕は、眼鏡をかけている。
いわゆる、視力が悪い。
しかし、こうも言われる。
「よく見てますよね。」
たしかに、教師して仕事をしている時。
授業中での子供の様子などは、よく見えている。
ある児童が言ったつぶやき。
ある児童の気になる言動。
授業中は、全体が意外と見えているようだ。
一方、家庭において見えているのか。
それは、全く見えていない。
妻を苛つかせていることに気づけていない。
全く見えていないのだろう。
スポーツの場面でもそう。
自分の動きに一生懸命で周りが見えていない。
運動神経のいい人。
こういう人は、身体能力が高いだけでない。
空間把握能力が高いのだ。
他人の動きがよく見えている。
スルーパスが出せるのは、そういうことなのだ。
ただし、見るという行為。
外側だけを見ていても仕方がない。
内側。つまり、自分の内面を見る。
それは、自分を知ること。
自分を知れているから、視界が広がる。
周りが見えて来るのではないだろうか。
自分を知っていく行動は、辛さを伴う。
向き合いたくない所に迫るわけだから。
辛さがあるから分かること。
辛いと思えば、仲間に頼む。
仲間に意識を向けることで、視界が外に向く。
その内と外の繰り返し。
内と外の往復が、人を成長させるのだろうな。
人によっては、それを「潜る」と表現する。
一方を突き詰めても、効果は薄い。
こういうことは。
両輪の関係。
自分の内側を探る。
探った先に、外を見ようとする。
自分の内側を探ると簡単に言うが、難しい。
そんな時は、その道のプロの力を借りるのもいい。
または、仲間の力を。
互いに見合うことで、気付きは生まれる。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。