眼鏡のカガヤキ☆

眼鏡を通して見えるキラキラした日常をお伝えします。岡山で小学校の先生をしている僕が、授業実践や読んだ本・好きな音楽・子育てについてキラッと輝くことをお伝えするブログです。

見る

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僕は、眼鏡をかけている。

いわゆる、視力が悪い。

しかし、こうも言われる。

「よく見てますよね。」

 

たしかに、教師して仕事をしている時。

授業中での子供の様子などは、よく見えている。

ある児童が言ったつぶやき。

ある児童の気になる言動。

授業中は、全体が意外と見えているようだ。

 

一方、家庭において見えているのか。

それは、全く見えていない。

妻を苛つかせていることに気づけていない。

全く見えていないのだろう。

 

スポーツの場面でもそう。

自分の動きに一生懸命で周りが見えていない。

運動神経のいい人。

こういう人は、身体能力が高いだけでない。

空間把握能力が高いのだ。

他人の動きがよく見えている。

ルーパスが出せるのは、そういうことなのだ。

 

ただし、見るという行為。

外側だけを見ていても仕方がない。

内側。つまり、自分の内面を見る。

それは、自分を知ること。

自分を知れているから、視界が広がる。

周りが見えて来るのではないだろうか。

 

自分を知っていく行動は、辛さを伴う。

向き合いたくない所に迫るわけだから。

辛さがあるから分かること。

辛いと思えば、仲間に頼む。

仲間に意識を向けることで、視界が外に向く。

 

その内と外の繰り返し。

内と外の往復が、人を成長させるのだろうな。

人によっては、それを「潜る」と表現する。

 

一方を突き詰めても、効果は薄い。

こういうことは。

 

両輪の関係。

自分の内側を探る。

探った先に、外を見ようとする。

自分の内側を探ると簡単に言うが、難しい。

そんな時は、その道のプロの力を借りるのもいい。

または、仲間の力を。

互いに見合うことで、気付きは生まれる。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。