放課後、初任者へ説明したことです。
自分で話をしていて難しいことを言っているなと思いましたが、大事なことですし、今の段階で理解できなくても大丈夫だと思いながら、話をしました。
今日は、軽い授業論です。
授業での主語が、「教師」から「子供」へ変わる。
それは、「教える」から「学ぶ」へと転換することを意味します。こうなると、教師の役割は、TeacherからFacilitatorとなるのです。
では、なぜスムーズな転換が起きないのでしょう。
それは、ファシリテーションすることに恐怖心を抱くからではないでしょうか。ファシリテーションとは、ざっくり言うと場づくりです。意見を集めたり、整理したりする。そして、ゴールへと導くことが役割です。このゴールへと誘う時に、多様な考えが出てきます。自分の想定を越える考えです。また、難しいテーマに場合は、子供たちから考えが出てこない状況も発生します。
内容を教えるのではなく、その場で生まれた考えを繋ぎ合わせて、新たなものを創っていくような活動は、自由度が高いために予定することができないのです。そこを嫌う、若しくは苦手とする教師が多いから、なかなか授業スタイルが転換しないのではないかというのが、僕の仮説です。
自分が予定した流れから逸れた場合、修正しようとする教師も少なくありません。研究授業などでは、「指導案通りにしていないのは何故か。」という質問がよく出ます。そのためか、プランに沿わせるように授業を展開する。外れた考えは、認めない。このようなことは、ザラにあります。
僕自身は、予定外が当たり前。むしろ、自分の予想を越えていく考えや展開を待ちわびています。予定通りの授業なんて面白くありません。
そのためには、詰まった授業プランを立てないことが第一歩でしょう。以前書いたように余白を残すです。そして、予定外を楽しむことです。子供たちが、盛り上がってカオスな状況になった特に、それを止めるのか、一緒に楽しむのか。制することを手放したところから、子供たちが前のめりになって取り組むところの場づくりが見えてくるはずです。その手前で止めていては、いつまで経ってもその景色を体験することができません。
活動ばかりさせるのが、何も子供が主語の授業ではなりません。もちろん、教えるべきことは教える。
そして、学ぶ時間は確保する。教えると学ぶのバランスを常に意識する。ここから授業デザインが変わっていく。
ファシリテーションは、技術です。学べば、うまくなります。これは、ティーチングも同じです。場づくりをする練習をする前に、まずはファシリテーションが何なのか学ぶ必要がありますね。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。