2022年からスタートした「名著de読書会」の経過報告です。
前回の様子は、こちらです。
2回目からは、ツァラトゥストラの教説へと入っていきます。教説とは、辞書によると哲学や思想などの学説だそうです。ですので、ツァラトゥストラの考えがここから語られていきます。
今回読んだのは、こちらの3つです。
- 三つの変化について
- 徳の講座について
- 世界の向こうを説く者たちについて
その中で、最も印象に残った「三つの変化について」紹介します。
三つの変化について
ツァラトゥストラは、精神の三つの変化について語り始めました。この変化を駱駝、獅子、幼子と呼んでいます。
強く、重荷に耐え、畏れを宿している精神には、多くの重いものがあたえられる。その強さこそが、重いものを、もっと重いものを求めるのだ。
どんどん自分に負荷をかけていく。
自分よりも周りを気にして生きていく。
もっと、もっと自分を追い込んでいくようなイメージです。ニーチェは、「駱駝のように膝を屈して」という表現を用いています。
これ以上なく重い一切のものを、忍耐強い精神は担っていく。そうすると、重荷を負って砂漠に急ぐ駱駝のように、精神もみずからの砂漠に急ぎ、第二の変化が起こります。
精神は獅子となり、自由を獲得しようとし、おのれの砂漠の主人になろうとする。彼は最後までみずからを支配していた者を探す。そしてその最後の支配者、神の敵となろうとし、この巨大な龍と勝利を賭けて戦う。
精神に負荷をかけ続けた結果、精神は自由を求めるようになる。そして、自分が持っている固定概念というブロックと戦うような感じです。
それでは、どうして自由が必要なのか。別に負荷をかけ続ける人生でもいいのでないのか。それに対してニーチェは、答えます。
新たな価値を創造することーそれは獅子にすらできない。だが、新しい価値のために自由を手に入れることは、獅子の力にしかできない。
獅子になることで、自分の中にある「ねばならない」という固定概念に対して「NO!」を言うことができると言うのです。
幼子は無垢だ。忘れる。新たな始まりだ。遊ぶ。みずから回る輪だ。最初の運動だ。聖なる「然りを言うこと」だ。
精神は自分の意志を意志する。世界から見捨てられていた者が、自分の世界を獲得する。
ブロックが外れてから、自分で決断をして行動していく。それが、自分の世界観を創っていくということだと解釈しました。
今回の学び
「三つの変化」は、非常に興味深い話でした。この記事を書きながら、もう一度読み返したので、読書会の時と少し違う解釈をしている部分もあるでしょうが、それまた日が経って、感じことが変わることなので、良しとしましょう。重荷に耐えて続ける人生は、辛い。そこから自由を求めて行動する。自分自身は、今この辺りかな。創造して自分の世界を獲得するところには、到底辿り着いておりません。でも、創造していく行動は、時折できているかな。獅子と幼子を行ったり来たり・・・。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。