眼鏡のカガヤキ☆

眼鏡を通して見えるキラキラした日常をお伝えします。岡山で小学校の先生をしている僕が、授業実践や読んだ本・好きな音楽・子育てについてキラッと輝くことをお伝えするブログです。

悲しくてやりきれない

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今日は、1日出張でした。

県のある研究会に参加してきました。

職場の後輩が、今年度この研究会で研究授業を行うためです。今日は、その授業の検討会が行われました。いわゆる、指導案検討というものです。

 

僕は、授業者ではありませんが、後輩の相談にのったり、授業案をチェックしたりしてきました。僕が授業案を見る時に大事にしていることは、「授業者の考えを尊重する」ことです。特に後輩の場合、内容や指導方法などが、大きくズレていたり、明らかに難しいことに対しては口を挟みますが、経験から自分ならしないことでも、本人がやってみたいという意志を強く持っているなら実践させるようにします。その結果、上手くいかなかったとしても、それは学びとなるからです。これは、子供に対しても同じ考えです。小さい失敗は、させます。大きな怪我になるようなことは、止めます。

 

さて、後輩の考えていた授業は尖った内容でした。僕が修正を加えても、提案性のある内容です。これまで、2回授業案の検討がなされました。その単元を扱うことが、難しいのではないか。この問いは、考え直した方がいいだろう。それでも、やる価値があるからやってみようという前向きなやり取りが、なされていました。

 

そして、今日です。これまでの意見を踏まえた上で、修正したものを提出していました。「修正」と言うよりも、「成長」したものになっていました。今日まで、たくさんの書籍を読み、実践例を探している姿を見ています。

 

今日が、最後の検討会でした。夏休みと言うこともあり、これまで参加していない方や会の古参の方、指導と助言担当の大学の先生も参加されていました。

 

検討会が始まって、早々古参の方から内容に対して苦言が呈されてしまいました。同調圧力により、これまでの話はなかったように授業案が白紙となってしまいました。

 

提案性のある尖った内容は、良しとしないようです。うーん。保守的だ。その後も数時間検討がなされましたが、もはや授業者の考えの欠片もないような感じです。面白さなんてない授業です。結局、声の大きい人の意向に沿うような授業じゃないといけないなんて、どうなんだろう。僕は、後輩の関係で、一応研究会に加入しましたが、来年度は加入したくありません。

 

研究会の研究テーマだって、3回目にしてようやく固まったような感じで説明されていましたが、そもそもテーマが固まっていないのに、授業を考えろという研究会自体問題ありです。

 

校内の公開授業は、挑戦することに重きを置いているのでどんどん挑戦して欲しいものです。

 

ひとまず、いただいたご意見を受け入れる所は受けて、後輩と一緒に練ります。

 

このやるせ無い気持ちをこうやって文章にして昇華します。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。