今日はどうだろう。
毎朝不安を抱えながら、起きます。
習慣として、午前5時にアラームをかけているので目が覚めますが、最近はここから更に30分タイマーをかけて布団の中に居座っています。
5時30分過ぎ、布団から出ます。
どれだけ疲れていても、体調が悪くても目覚ましで起きることができるのは、学生時代の早朝コンビニの経験からです。
「今日は働きたくないなぁー。」
と思いながらも、リビングへ降りてソファーへ座りつつ、ぼーっとしている。状態が今は正常だから、ここからシャワーを浴びて、仕事へ行くわけですが。
職場へ着いてからの時間が大切。
自分が予定していることを朝の時点で出来れば、スムーズに流れます。ところが、アクシデントにより、どこかのクラスへ入ることになれば、予定が狂ってしまうのです。
考える時間。
準備をする時間。
学校の先生には、これが圧倒的に不足しています。それでは、これを確保するためには、子供たちを早く学校から下校させる必要があります。そうなると、その受け皿である学童や家庭への負担が増えるわけです。「子供を見ること」が負担という表現は良くないですね。
学校の先生は、圧倒的に授業などを準備する時間がない。だから早く学校から帰ることによって、学童施設や保護者への負担が増す。
どこに落とし所をつけて、話し合うのか。
それこそ、大事なことだと思うのです。何故なら、未来を担う子ども達のことだから。
教員の働き方や保護者の負担、そして行政のサービスなど様々な立場があります。全てが、合意することは、難しいでしょう。今は、教員への負担が大きくなっているのかもしれません。ただ、教員の負担を軽減するだけが解決ではないと思うのです。
大切なことは、未来を担う子供たちにどのようになって欲しいのか。
これを地域で共有することではないでしょうか。地域のために活動してくださっている年配の方には、本当に頭が上がりません。
「自分達がしてもらったことの恩返し」
というような考えでしてくださっている方々が多いようです。果たして、今の世代はそのような考えを持っているのでしょうか。
価値観は、時代とともに変化します。
こうあるべき。
このような価値観の押し付けはいけません。
ただし、普遍的な考え方も存在します。
それが、論語などで説かれることでしょう。
年を追うごとに、古典的な価値観の良さに気づきます。これは、自分が年を取ったからなのでしょう。この折り合いの部分を子供たちへ伝えていきたい。道徳的要素もあるでしょう。
どの科目、というわけではないので、授業で伝えていきたいものです。
今日の記事は、少々小言のような内容となってしまいました。しかし、大切な内容を記したつもりです。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。